父が亡くなり幻を…👵母その後……
手描き人❣️スキップする人生がいい〜の"らら"です。
5月にはいり父が亡くなってから3ケ月目。どんな暮らしをしているのか、母の心の変化と私の思いを記録していきたいと思います。よろしかったらお付き合い下さい。
=目 次=
父が亡くなり母のその後
今考えてみると結婚して60年以上も1人で過ごしたことがない母。82歳。
必ず誰かがそばにいた。
祖父、祖母がいて私達子供がいた。
当たり前だが父がいつもいた。
ここ30年くらいはほぼ父と2人きりの生活になっていました。
なんだかんだとちわ喧嘩。変化のない日常にリズムをつけていたように思う。
ある程度の歳になると子供達は頼る事はしなくなる。
それが寂しいようでもあり…
だけどしっかりした相談を持ち込むといささか鬱陶しい…
そんな状況の中での父の死去
約1年の闘病の末、天国へ逝った。
その間母はずっと付き添い父の我儘を100%聞いてきた。見ていて私にはできないな〜と思っています。
思い残すことのない介護だったと思っている。
その間の嬉しかった事辛かった事は母が生きている間は書くまい。
【1ケ月目】
49日で顔を出した私、お葬式の時と同じように笑顔で元気そうだった。お嫁さんたちともわりと仲良くしてくれている事に安堵。
【2ケ月目】
コロナウィルスのせいで顔を見に行くことができないので1日に5回の電話が日常になった。
朝ーおはよう〜
昼ーご飯食べた〜
3時ーどうしてる〜
夕方ーご飯食べた〜
夜ーおやすみ〜
母にとってはうるさくも感じただろうが…
私としては1人メソメソ考える時間を少なくして欲しくて。
ある日眠っているだろう23時過ぎ携帯がなった、
誰?
とってみると母…
"誰か部屋にいる……"
えっ!…
兄と2世帯にしてるとは言え母は一人のはず。
"誰か部屋にいる、あ〜2人になった…"
えっ!…
あ〜とうとう来てしまったか。想定はしていたもののやはりきたか…
幻なのだ…
不安からくる心の空白が見てしまう…
夜中0時前からはつなげたままずっと聞いていた、。出て行け〜、シュー(後できいたのだが虫殺しスプレー)、ガタガタ…ドンドン…
泣けてきた。
どうしたものかと…
次の朝、
変わらずおはよう〜😃🌞
浮かぬ感じだ…
それはそうだ。
昼が過ぎ
母からの電話。
"昨夜の事、私にだけしか見えてなかったみたい…"と
隣に住むお嫁さんと話をしたようで昨晩の事はお嫁さんも気づいていて眠れなかったよう。
そうよっ…と私。
けげんな思いを祓えない様子の母に、どうしてそうなるのか時間をかけて説明しました。親子立場が反対になった時です。
自分だけが見た事をおかしいと感じてくれただけでも話は早い。私はこれが毎夜続いてしまったら…と先を考えていただけに早くわかってくれて良かった〜と。
ん〜と一旦電話が切れた。
夕方電話がありまた同じような説明をした。
その夜も夢か幻かみたらしい、今度は相手にしなかった〜と強気で言う。
2.3日そんな事が続き、徐々に
おはよう☀の後に"昨夜はどんな夢見た〜"と
聞かなくなる。
コロナウィルスで仕事と外に出られないストレスで、こちらも少々イライラも募ってきているところです。
時々憂鬱な母の声を聞きたくなくなるが、やはり電話をしてしまう。
1日の終わりのおやすみなさい💤
この頃は話すたびによく泣く。
「ウツ」にあるのではないかと不安になってしまう
昼間話し相手がいないから語彙力も極端に減ってきている、愚痴も多い。
【3ケ月目】
1日5回の電話を3回にしてみた。
少しずつ1人で生きていく自覚を持ってもらわないといけない。
2回の脳梗塞で入院した母は右側が不自由なのですが、持ち前の気の強さで結構これまでも病気と戦ってきてくれましたが、歳とともに硬くなっていく筋肉は自力ではどうしようもない
この5月からデイサービスに行くようになってくれて、有り難い国のサービスです。
同世代の人とすこしでもお喋りするのはいいようで、帰ってきて話す電話の声が明るい^_^
嬉しい〜
デイサービスに行った日は疲れているようでぐっすり眠る。夢もみないよう。
はじめの頃は行ってくるよ〜
帰ってきたよ〜の電話があったのだが、
この頃では私の方から電話☎️する。
今日のお昼はどんなご馳走だった〜て毎回聞く
幼稚園から帰ってきた子供に聞くみたいに…
子供に還っていくのだと感じる。
赤ちゃんはツルツルでちっちゃくて可愛いけど〜
おばあちゃんはシワシワで可愛くないんだから〜可愛くね〜なんて憎まれ口を叩く私です。
「うん 」とまあまあ可愛い💕〜
人間は意外に強いと信じたい所……人によりけり……??
今後も必ずや自立する母を見守って行きたいと思います。
❤️お付き合いくださりありがとうございました❤️